5/30/2009

お話の中の町-à la fin, à LOURDRS-


ここは日光ではない。


「Lourdes(ルルド)」。
世界中の病を抱えた人が巡業に訪れる
れっきとした聖地である。




ちなみにここはグレースケリーのお墓ではない。


聖ベルナドットの前に現れたマリア様を具現化したものだ。
毎日色とりどりの美しい花々が手向けられる。

お花がなんて似合うお方なんだろう、と見とれる。
宗教はタブートピックと言う。戦争の原因にもなる。
こういった偶像崇拝への批判もフランスに住んでいると
たまに耳にする。
しかし、人が何かを信じる気持ち自体、
美しく純粋なものだと思う。
数々のお花のように。
その先どうなるかは別として。





ずっと話にだけ聞いていた聖ベルナドット。


ここに来ても尚、statuだけ。
やはり私にとってはお話の中の人である。
羊飼いだった少女はGrotte(洞窟)でマリア様のお告げを聞く。
言われたところを掘ると水が出てきた。
その水は奇跡の水と言われ、あらゆる病を治すと
口々に伝えられるようになった。
19世紀後半のこと。
なんて素敵なお話。
私は無宗教者なのでこんなことを思う。
たとえあらゆる人の病が治されなかったとしても、
そのお話を信じてやってくる人間の底力に圧倒される。
その瞬間、前向きに生きる気持ちを十分与えている気がする。



「奇跡の水」が滾々と湧き出るGrotteの前に佇むひと、ひと。



この水をみなペットボトルや大きなパケに入れる。
目や頭を真剣に洗う人の姿もある。

photo;「源泉を飲み、清めて下さい」と各国語で書かれている。
韓国語、中国語はあるが、日本語だけがない。
ルルドで看護人としてボランティアをする日本人はおそらくいないのだろうか?



山、川、木。自然が住む空間に「Grotte」はある。


日本でも、そんな自然の中に神様はいるという。
聖ベルナドットの「お話」は本当だったにちがいない、
と思わせる気持ちのよい空気が流れる。

ただのリフレッシュではない、
もやっとしたものやだるっとしたものを
すぅーーーーーっと風が運びさってくれるような感覚。
ここは、本当にすごいサンクチュアリだった。
この川の名は「PAU」川。
川の水面の方が歩道よりも高い。
これもまた素敵な感覚。


ちなみに、私の住むPAUからルルドへは、電車で35分。
学校の後に出掛ける人もいる。


一歩「聖域」を出ると、各国からやってくる
巡業者、時々観光者、目当てにずらりとお店が軒を連ねる。
ルルドはフランスで2番目にホテルが多いと言われている。








町には看護人、病人、そして丈夫そうな観光客が入り乱れる。
ちなみにバスは15分置き。
PAUよりも都会である。(当たり前か)




ほぼ毎晩、9時から夜の集いが行われる。
ろうそくを片手にみなが集う。
ドイツ語、イタリア語、スペイン語、英語。
フランス語以外でもきちんと時間を取り、祈りが捧げられる。
各国の旗をなびかせたひと、ひと、が、教会へと向かう。





教会を完全包囲。
これは革命運動ではない。
円形状の階段もその下の広場もロウソクでうまる。
掲げるロウソクの光がみなぎり、炎のように教会を映す。
人の祈りが念力となった?

私はキリスト教徒でもないが、
一種の祭典のようなものとして楽しんだ。
しかし、本当に治癒を願う信者にとって、
美しい祈りの歌は切実なものである。
渦中にいなくても、心が震えるような感覚がする。
みなにこやかで平和な町だった。

5/29/2009

ある日-des jours-

最近日が長い。
22時半にならないと完璧に闇がやってこない。





学校はスパルタ教育で、高校生並みに学校にいる時間が長い。
へとへとになって帰り、ご飯をつくる。

私はタイ料理が好きだ。
その中核を成すのはコリアンダ(?)。
偶然大好きな香りにつられ、トゥールーズの市なかで立ち止まる。
おじさんとその子供から70セントで一束買う。
これがあれば、何でも美味しい。



そのまたある日、同年代の日本人の友人とレストランに行く。
このところ、ぐんと年下の学生に囲まれていたので、
レストランに行くのは久々だった。
おすすめのワインはこれ。
とってもフルーティできちんと辛い。



美味しいものを食べるという行為が今、
いちばん幸せを感じる瞬間である。
PAUに来てから。




そのまたある日、
友人とともにあれこれ試行錯誤しながらパスタを作る。
アスパラがねじこんであるイタリアンパスタをゆでる。
エビににんにくやしょうゆで下味をつけ、
ニンジンを細かく切り、
これまたコリアンダをまぶし、
炒める。
エビのゆで汁少々と、ゆであがったパスタをそこに
加えて炒め、
仕上げにチーズを4切れほど加えて溶かす。
これが隠し味♡

チーズとコリアンダの、
これまたエキゾチックな味の競演がたまらない。




その後、大学生のソワレに参加する。
彼らは今試験を終え、長いバカンスに突入する。
最近は、半袖に薄いカーディガンを羽織るだけでも
夜道を歩けるようになっている。(折角コートが届いたのに。。)
しかし山の天気はすぐに変わるので、いつまた降られるかはお楽しみ。

「bibliotiqueの前で待ち合わせ」というメッセージだったようで、
「きっと図書館で待っててくれて、そこから移動だね」
と、日本人の居酒屋的発想をして図書館前に行く。

すると、普通にそこで立ち飲みをしていた。
22時半。
新種のバルか何かである。


しかし、飲んでいるものはフランスワイン。
うーん。大学生とはいえ、やはり違いますな。
美味しいチーズもいろいろと教えてくれるが、飲みの席
(というか場)だったので全て忘れる。

日本大好きというフランス人が多い。
異に20代。
アニメと漫画のおかげである。
だから、みな漫画チックな日本語を覚えて話す。
その度に、声のトーンを下げてみてはどうか、と提案している。

パリで7月に開かれるアニメのexpozeに、このPAUから
わざわざコスプレをして行くという人もいる。
日本=漫画の世界は、もはや彼らの夢なのだ。

三島由紀夫が好きだという学生に会う。
とってもインテリジョンである。
私は彼の「D'accord(なるほどね)」が気に入った。
人に寛容でなんだか頭の良い感じがする響きだ。

大学生と話していると、あまり年齢が気にならない。
言葉のディテールが分からないからだろうか。
みな根はしっかりしている。
「思いやり」「寛容」とかは共通しているし、
もっとピュアで優しかったりもする。

違いは何かと言ったら、食の傾向だろうか。
食の傾向、すなわちお金の使い方だろうか。
もしお金が入ったら、彼らはきっと
コスプレのコスチュームや漫画を買うことを選ぶのだろう。
私なら、美味しいものを食べたい。

年をとるということは、舌がうるさくなることなのか。

5/26/2009

届け物を追う -ouf! Merci LA POST...-

PauをNiceやMontpellierのように温かく陽気な地だと思っていた。




だから夏物しか持ってこなかった。

しかし着いてみるととっても寒い。

ピレネー山脈が美しく光って見えるのは良いが、

5月になっても風邪と背中合わせの暮らしである。

遠くに霞んで見えるピレネー、その上方には白い衣。

何気なく見ていた美しい姿。

しかしあれは。

紛れもなく、雪。


強い日射しが消えると、気まぐれにも冬の風が吹いたりもする。

空気の温度は、陽が落ちきった22時を境にサクッと変わる。

今日は一日中セーター2枚程と薄手の冬コートを着て過ごした。


そんなこんなで、日本からコートやブーツ、

ついでにバッグを送ってもらうことにしていた。


首を長くして待つこと二週間。遅い。そして寒い。

その間、寒さに耐えかねて服を買おうと学生都市からはるばる

街に行く(歩いて20分)。

しかし店では暢気に夏物などを売っている。

薄い生地を見ると鳥肌がたつのに、また何故?



ある日、待ちに待った日本からの愛おしい荷物が

このアパートに来た形跡を見つける。

涙が出る程嬉しい。

しばしその眩い不在届けを眺める。

時間指定の再配達などがあるのか電話をしてみる。

「荷物の番号を言うから調べて欲しい」と言うと、

「おそらくもうここ(La Post)にあるから、近いし取りに来たらどうか」

と私の質問は遮られる。「おそらく?」という言葉に

ひっかかりながら、パシル。


「届ける」ことが仕事であるはずのポストマンが、

現代のフランスに至っては荷物の一時預かり所となっている。

それはなぜ?

取りあえずパシル。


La Postに着くと、受付の人が「あら、さっきの電話の人ね。」

と素早く対応してくれる。いい感じ。

mais!思った通り。

「あらやだ〜、ここにないわ。キットまだ配達の車の中ね。」

暢気な口調でしゃべる。

軽い。

軽すぎて冗談かと思った。

「17時にはここにあるはずだから、また来て」

悪気ない。何気ない。

ダブルパンチをくらうが、こういう所も段々慣れてきた。

電話口で調べないのはなぜ?

ゲソッとしながら、諦めて授業に戻る。


学校が終わり、再び急いで郵便局へ走る。

時間通りやっているか心配でたまらないのだ。

La Postに着く。

まだ開いているという事実にまずはホッとする。

すると、別のマダムが対応する。

「あら、ないわ。」

あっけらかん。

さすがに不信を通り越して怒りが沸く。

驚きにすら変わる。


「あると言われて今日はもう二回も取りに来てる。

 追跡するシステムで調べて欲しい」と私は言う。

するとマダムはパソコンのところによっこらしょと移動する。

こちらの人は言われないとどこまでもさぼろうとする。

「なるほど。ここではなくて、集荷のところにある。

歩いて20分のところだから、今日行けば受け取れる」

ならば、と、荷物の大きさを聞く。

すると「知らない、分からない」という。

重かったらどうするんだ?と思いつつ、

ならば道端で助けを求めよう、と私もとうとう開き直る。

ここフランスでは、何を言っても「ひとごと仕事」が存在する

ある一定の場所がある。

LA POSTに至ってはさらに「お役所」。

諦めを知らないといらだつことになる。損だ。

呆然としながらそこを去ろうとする。


その瞬間、「マドモワゼル、ここにあったわ!デゾレ!」

という声が耳に入る。

・・・軽いなぁ。ほんと。


日本人の私にとって、フランスの郵便局は効率が悪く映る。

日本の郵便局はとてもユーザーに易い。

荷物を受け取れなくても、心配などすることはない。

電話やパソコンで追跡番号を入力すれば、

時間指定届けまでしてくれる。

一度届けていなかったのだから取りに来い、という返答など

あり得ない。(それともPAU特有なのか?)

やる、ニッポン!


さらに翌日。

実は2つ同時に送られてきたはずの荷物が、

まだ1つしか届いていなかったという恐るべき事実を知ることになる。

もう今更驚かない。

驚いたら負ける気がするのだ。

例によって不在届けが投函されていたので、

何も期待せず、無心でLa Postまで走る。


好奇心から質問をする。

「何故ふたつ一緒に受け取れないの?

同じ日に同じ日本から同じ住所、しかもPAUに宛てられたのに?」

すると馴染みのLa Postの顔は、「知らないわ〜。(Je sais pas〜〜)」。

首をエレガントに横に振る。

いや、是非知ろう。

知ってくれ。

そこはきちんと追跡してみよう。


箱を開けると、懐かしい馴染みのアイテムが顔を覗かせる。

アイデンティティの一部が蘇ってくるかのようだ。

日本では数あるうちの一つに過ぎなかったアイテムだけれども、

今となっては、はるばると日本からやってきた顔ぶれ。

厳選されたコートやブーツやお茶。

それらが初めてこの上なく愛おしく感じられた。


同時に、大量に物を消費していた日本での生活を反省する。

ものを大切にする、という知恵や心の奥行きや感謝の

足りない暮らしをどれほどしていたことか!

欲望のままに服を大量に買い、仕事の忙しさを言い訳にする。

それが私であった。 


その途端、La Postのシステムの非効率など、

どうでもよくなってくる。

本当にどうでも良い。

私にフランスのシステムなど変えられたものじゃない。

後は暗黙のルールを知って従うことに慣れるのだ。




受付の首振りマダムは「bonne soiree〜」

を堪能するために仕事半分に切り上げると良い。

「明日もJe sais pas〜」とゆるく対応をすると良い。

配達係の人だって。

明日も無事に「不在届け」をポストに入れるのだ。

そう、がんばるのだ。

無事故運転を祈る気持ちすら涌いてくる。

ただの「不在届け」投函者でも、ゼンゼンいけている!


こうして人間が丸くなってゆく。良いのか悪いのか。

「〜べき!」的にとんがっていたシビアな自分が嘘みたいに削られて、

寛容という二文字を知ってゆく。

viva ラテン。

そして、私にこんな変化をもたらす、ゆるいLA POSTに感謝。

5/25/2009

おこられ甲斐-bonne chance à WIFI-

朝7時になるとけたたましく呼び鈴が鳴る。



目覚ましの音よりもうるさい。

このアパルトモンに越してきて2週間が過ぎた頃、

それが不思議と4日間続く。

お年よりが多いのできっと押し間違いか何かだろう。

寝返りをうってはまた眠りに落ちるのだった。


しかし、よりによって初めて遅刻しそうになった日の朝。

出がけに下のオートロック用のベルが再び鳴る。

応対する余裕がなく、そのままエレベーターで玄関めがけて急ぐ。


壁の薄いアパルトモンだ。

隣の家のベルが聞こえたのかも、と

案外楽天家の私は都合よく解釈する。


下の入り口から外へ出る。

すると、

私はものすごい勢いで怒鳴られる。

目の前には、小太りで小柄なおじさまが

私の目を捉えるように見つめ、

何やらまくしたてている。

近い。

顔の距離が近い。

そして声が大きい。

そのことばかりが気になる。

その隣には、心配そうに様子を伺うラブラドールがいる。

おじさまをそのままコテンと横にして、

手足をさらに短くしたような姿をしている。

似ている。


何?このコンビ。何?夢?!

あまりにびっくりして、フランス語がまったく入ってこない。

まだ起きがけだし。

そこで聞き耳をよくたてる。


「君か?!真夜中の1時2時にシャワーを浴びてるのは!

うるっさい。眠れないっ。」



なるほど。

訴えるように鳴り響いていた朝のブザーは、

紛れもなく私へと宛てられた事実。

そしてその正体はこのおじさまと、犬。

なるほど...。

(それにしてもこのフタリ、似ている。)


私は心底やってしまった、と思い、謝る。

ついでに、大変申し訳ないが既に遅れているから急ぐ、

もうシャワーを夜中に浴びない、と告げて逃げるように立ち去る。

ヒステリックな人の傍には出来ることならいたくない。


学校から帰ると、

管理人夫婦と朝のおじさまが玄関でおしゃべりをしている。

犬もいる。

「mao-----!」

あまりよく知らないけれど、

私に会うと嬉しそうにしてくれる管理人のおじさんが

bisouをしろと遠くから叫ぶ。

距離を置いて玄関からそぉっと入ろうとしたのに、

気付かれたか...。


朝のおじさまもいるし、気まずい。

私は声が大きい人が苦手だ。

しかし何事もなかったかのようにとびきりの笑顔で近づく。

「朝はごめんなさいねー!」などとおじさまに言う。

するとおじさま(Patrickという)は、

「いやいや、僕はいいんだけど妻がいつもうるさくてね」

などと笑う。

陽気な管理人のおじさんもニコニコ笑う。

今日は天気がいいからみな余計にニコニコしている。

管理人のおじさんはヒゲが針のようにするどくとがっている。

bisouをすると、やはり今日も痛い。

お願いだから剃って欲しい。

このbisouはpauにいる限り避けられない運命にあるからだ。



私は犬についてしゃべる。13歳なんてすごいなどと。

すると、Patrickが若干私から距離を置きながら神妙な顔をして言う。

なんか遠い。

今朝は近かったのに。

「君の国では犬を食べてしまうんだろう?」

Patrickの目が丸くなっている。

素朴な疑問のようだ。

少し怯えている。

「nonnnon! それは中国よ。私は日本人よ。」

と必死で弁解をする。

Patrickの緊張が次第にゆるむのが伝わる。

そして再び顔が近くなる。


今どき犬を食べるなんて。

まぁ、この犬は確かに肉付きがいいから。心配になるのも無理はない。

真ん丸くて今にも転がりそうな犬を前に、冷静に考える自分もいる。



翌日から、何故かPatrickと犬と管理人夫婦の

井戸端会議に毎日遭遇することになる。

その度に、

「昨日はシャワー早かったね」

などと悪気なくしゃべっている。

なんだかストーカーをされている気分である。

しかし皮肉なことに、丁度フランス語の練習にもなる。

何を言われても気にしないことにする。

無我の境地に達している。




こうして、怒られたことで始まったPatrickとの縁が、ある日実を結ぶ。

井戸端会議中にPatrickが私に言う。

「wifiないだろう?パスワードをあげるよ。

帰ってきたらアパルトモンに寄ればいい。僕らはお隣さんだ。わっはっは」

なんと!ついにインターネットが部屋でできる!

私がルルドに旅立つ朝であった。

この井戸端会議に遭遇すると、

決まって私は遅刻をするハメになる。

その日も一本バスを逃すが、遅刻し甲斐のある会議である。


「ちなみに、君の前にいた子にもwifiのパスあげたんだけどね。
アパルトモンを去る時僕に何も言わなかったんだよ。

だからもう誰にもあげないって思ってたんだけどね。」

なるほど。礼儀にうるさい。根に持つ。

Pauを出て行く時は必ず挨拶をしよう。

次の人がまた苦労をすることになる。


あれほど探し求めていたインターネットの扉を開く鍵を,,,

Patrickから授かることになるとは。

おこられた甲斐がある。


管理人夫婦は、私が夜になると決まって

向かいの家までPCを持って行き、

インターネットをしていることを知っていた。

ひげの鋭いおじさんに行き先を監視され甲斐があった。

それをPatrickに言ってくれたのだ。


部屋に遅く戻ってきてシャワーを浴びることは、

Patrickが知っていた。

だから、wifiが私のもとにくることは、

Patrickにとっても私にとっても良いことである。

もう夜更けに部屋に戻り、慌ててシャワーを浴びる必要がないのだから。


必要に迫られこちらから近づかずとも、

不思議と必要なものが向こうから寄ってくることがある。

その始まりが、如何に印象が悪く、

いたたまれない気持ちになるものであろうとも。




それとも、インターネットを部屋でしたい、

という切なる思いが

シャワーの音となってPatrickの寝室まで

訴える結果となったのだろうか。


Patrickから無事にインターネットのパスワードを貰った日、

ルルドのお土産のメダーユをPatrickに手渡す。

これがこの先、Patrickの願いを叶えることになるかも知れない。

などと夢想してみる。


5/24/2009

6歳児風ランデヴー-les adultes innocents-

甥が2年前に小学校1年生になる。

その時姉から面白い話を聞く。


「いろんな友達と約束をしてしまい、

 どこで誰となのかを忘れてしまうから

 なかなか遊べないんだ」という。

ああ、あり得る。6歳だものね。

可愛いね。なるほど。

その時そう思う。


でも大人がやったら、明らかに確信犯?!



多彩な国の人が集まる外国人クラスでは、

いろいろな人が約束をしては、

つぎつぎとドタキャンをしてゆく。

ドタキャンしたもん勝ち的にも見える。

でもなにか違う。

気持ちがいい程に、予定がなくなることもザラにある。

例えば、「〜の料理を教えて欲しい」と言っていた本人は、

当日その人の家に行けなくなる。

銀行に行かなければならないそうである。

しかし行けなくなったことを、帰る直前にその人に伝える。

たしか・・・昼もみなで食べていた。

その時はスペイン語同士でぺらぺらとしゃべっている。

なんとも不思議な現象。。。

料理を教える用意をしていた本人はかわいそうである。

きっと張り切ってまな板や包丁を並べていただろう。



私の周りにも、6歳児風な約束をする人はザラにいる。

約束の時間を3時間超えても来ない。

5分前にドタキャンをする。

ややルーズな私ですら、さすがに参る。

はぁ...。ふぅ...。


海外生活は、いろいろな人と約束をしてしまう癖がつく。

あらゆるところに誘いがあり、楽しみが待つ。

みな期待と共にここにいる。

だから優柔不断な人は要注意である。

イノセントなオトナは、あまり欲っされない!

「信頼関係」がスロウペースで成り立ちゆく外国人同士だからこそ、

それをやっては折角の友達をなくすことになる。




学校の後は疲れているので、

3時間前にした約束がなかったことになっても構わない。

相手は文化の異なる外国人だし。

みな気まま。


ただ、だたっ広い芝生にピクニックシートを敷き、

寝転がりながらいざこのまま一緒に勉強をしようという時。


突然ポツンと置いて行かれたのはさすがに悲しかった。

しかもイノセントに。

6歳児風に。去って行った。




ドタドタドタドタドタッキャンッ、である。


理由は忘れたが、「ごめんごめん」と優しい顔をして言う。

びっくりして言葉が出ない。

え?!宇宙人?!

と見まがう。

「ココではいつもそうだからゼンッゼンッ気にしない」と

さすがにとげのある言葉を返して意味もなく笑ってみる。

にこっ。と。

特定の人がいつもこう特定のことをする。

眉毛がピクっとする。

わたし、もしかしてすごく怒ってる?

怒っていた。

どうしてかって、

ピクニックシートがショッキングな程真っピンクで

芝生の緑とのコントラストがやたら目立つからだ。

それは余計に悲しくなる明るさである。

”ポツン”感が増してゆく。この色。



こうして、「夕陽が眩しいから泣く」、

という青春讃歌のことばの意味を、

30を超えて海外で初めて知ることになる。

なるほど、こういうことか。

悲しいのに、やたら明るい色に囲まれている。

そしてこの瞬間がやたらビビッドに浮き彫りにされるからこそ、

余計に虚しい。

こういうことか。

おお、青春よ!


こんなペースで、何故か甥っ子の住んでいた世界を

彷彿とさせる日常を送ることになっている。

6歳児は勝手が分からないからまだよい。そして可愛い。

しかしどう見ても大人なモノ同士よ。

もう可愛くもない。

pas du tout.

あちらこちらで大量に起こるイノセントな約束破り...。

言葉が初歩に戻ると、行動パターンも退化してゆくのだろうか。

oh! 恐るべき、外国人同士のコミュニケーションエラー!



追伸:いつもブログを楽しみにしてくれてありがとうございます。

温かいメールもありがとう。

さて、特に私を知る良き友たちへ... 

ごめんなさい。私は十分時間にルーズでした。

待ち合わせ場所のビルや街灯の色がやたら

ビビッドだった記憶のある人、本当に懺悔します!