毎年、パリ旅の思い出を宿してきた美術館。
ことの始まりはゴッホの部屋とトゥールーズ・ロートレックの部屋で
ぼーっとするのが好きなことにあった。
しかし今回は、イタリア写真展のexpositionを目指す。
私は古代イタリアの歴史に目がない。
触れた途端、空想劇が頭の中で繰り広げられてゆく。
触れた途端、空想劇が頭の中で繰り広げられてゆく。
1860年〜80年代のローマ、フィレンツェ、ポンペイ、ヴェニスが
こっくりと写真に収められている。
-Pompeo Bondini- Rome, tombes dites du Frontispice et
des Festons, via Appia Antica ,1853
「アッピア街道の墓地の門」
-Giorgio Sommer-Marina di Messina vers 1860
「メッシナ港」
-Pompeo Bondini- Rome, tombes dites du Frontispice et
des Festons, via Appia Antica ,1853
「アッピア街道の墓地の門」
-Giorgio Sommer-Marina di Messina vers 1860
「メッシナ港」
今はもう見られない光景もくっきりと写り、残されている。
2000年以上前に築かれ、決して語らない物ごとたちが、
時代ごとの風にさらされた姿。
人だかる人口の大小に左右され、
削られ、足され、膨張し、縮小され。
その数々の変遷を2000年もの歳月をかけて
ここに至った建造物の存在。
今もなお人を感動させる佇まいのままである。
それは年の功の成す、一種のアートだと感じる。
古代イタリアの遺跡にいたっては、この先もずっと
それが繰り返される。
(100年後はどうなるのかな♪塩野七生さんの弟子は育つのだろうか。)
-Gioacchino Altobelli-
Rome,Saint-Pierre et le chateau Saint-Ange
vers 1864
2000年以上前に築かれ、決して語らない物ごとたちが、
時代ごとの風にさらされた姿。
人だかる人口の大小に左右され、
削られ、足され、膨張し、縮小され。
その数々の変遷を2000年もの歳月をかけて
ここに至った建造物の存在。
今もなお人を感動させる佇まいのままである。
それは年の功の成す、一種のアートだと感じる。
古代イタリアの遺跡にいたっては、この先もずっと
それが繰り返される。
(100年後はどうなるのかな♪塩野七生さんの弟子は育つのだろうか。)
-Gioacchino Altobelli-
Rome,Saint-Pierre et le chateau Saint-Ange
vers 1864
これは100年以上前のサンタン・ジェロ城。
向こうに霞むのはヴァチカン。
(買った本を撮ったため、写真がゆがんでて御免なさい。)
特にローマにあるカラカラ浴場のstatusなど、
向こうに霞むのはヴァチカン。
(買った本を撮ったため、写真がゆがんでて御免なさい。)
特にローマにあるカラカラ浴場のstatusなど、
100年以上前はもっと大量に見れていた事実を知る。
コロッセオの前の道も整備されておらず、
人がうじょうじょと観光している姿がない。
活気はなく、哀愁に満ちている。
そして、次第に当時の生活感漂う写真が増えてくる。
-Giorgio Sommer-Amalfi, femmes au travail, vers 1880
「働く女性達、アマルフィにて」
男どもは階段の上でたまっています。
何かの仕事を終えて一服しているのでしょうか。
女性が重たそうに薪をかついでいます。
あれ?ヨーロッパ人の男性常識、「レディーファースト」は
かっこつけたいがためのポーズなの?かもね。
それともこの当時はまだ存在しなかった?かもね。
-Wilhelm von Gloeden-Jeunes Siciliennes à la fontaine vers 1890
「噴水にて、シチリアの少女」
私が大学生の時、
アフリカ人たちの労働状況として見ていた光景に似ている。
かつてのイタリア人も。
古代イタリアへの執拗な憧れ。
おもちゃオタクの心情に似ているのだろうか。
ensuite,
-Giorgio Sommer-Naples, mangeurs de macaronis,
vers 1870
「マカロニを食べる人たち」
エスプリの効いたジョルジオの写真。
je l'adore(笑)!
完全にディレクション入っていますが。
ジョルジオについて。
彼のその他の写真は、ジャーナリスティックに時代を切り取るものが
多々あります。ポンペイの噴火の経過など。
しかし、全てが彼の主観フィルターを
通してアウトプットされているのが伝わってくる。
好きでこそ表現にこだわり通す男気。
今のように媒体に左右されずとも良かった。
なんと才あるフォトグラファー!素晴らしい!
人がうじょうじょと観光している姿がない。
活気はなく、哀愁に満ちている。
そして、次第に当時の生活感漂う写真が増えてくる。
-Giorgio Sommer-Amalfi, femmes au travail, vers 1880
「働く女性達、アマルフィにて」
男どもは階段の上でたまっています。
何かの仕事を終えて一服しているのでしょうか。
女性が重たそうに薪をかついでいます。
あれ?ヨーロッパ人の男性常識、「レディーファースト」は
かっこつけたいがためのポーズなの?かもね。
それともこの当時はまだ存在しなかった?かもね。
-Wilhelm von Gloeden-Jeunes Siciliennes à la fontaine vers 1890
「噴水にて、シチリアの少女」
私が大学生の時、
アフリカ人たちの労働状況として見ていた光景に似ている。
かつてのイタリア人も。
古代イタリアへの執拗な憧れ。
おもちゃオタクの心情に似ているのだろうか。
私にとって、古今の比較はぐっとくる部分なのである。
絵も好きである。
絵も好きである。
しかし、当時の写真には息を飲む緊張感が走る。
機材も限られ、プロとして写真を撮るという行為が
当たり前でなかった時代の写真。
そんな時代を生き、瞬間をキリとって生きて来た
敬愛すべき写真家達。
信念一本で生きた姿が写真を見れば一目瞭然、伝わってくる。
当たり前でなかった時代の写真。
そんな時代を生き、瞬間をキリとって生きて来た
敬愛すべき写真家達。
信念一本で生きた姿が写真を見れば一目瞭然、伝わってくる。
ensuite,
-Giorgio Sommer-Naples, mangeurs de macaronis,
vers 1870
「マカロニを食べる人たち」
エスプリの効いたジョルジオの写真。
je l'adore(笑)!
完全にディレクション入っていますが。
ジョルジオについて。
彼のその他の写真は、ジャーナリスティックに時代を切り取るものが
多々あります。ポンペイの噴火の経過など。
しかし、全てが彼の主観フィルターを
通してアウトプットされているのが伝わってくる。
好きでこそ表現にこだわり通す男気。
今のように媒体に左右されずとも良かった。
なんと才あるフォトグラファー!素晴らしい!
-Antonio Trombetta-
Les Mystères-sain Antoine abbé,1874
こういう中世キリスト教の絵、よく見ますね。
でもよく見ると、頭の上に玉のっけてその上にエンジェル。
からかいすぎ!
そしてよく撮れたなぁ、、、。
後から台とかヒモとか消したの?
いや、消せるの?当時。
-Giorgio Sommer-
Palerme, catacombes vers 1865
パレルモのカタコンベにて。
またしてもジョルジオ。
亡くなった人達もユーモラスにポージング。
うかばれるのだろうか、ou non?
-Giorgio Sommer-
Pompéi, empreinte humeine, vers1870
ポンペイの人型
ホンモノ?
-Edomond Lebel-
vers 1863-1870
おそらくお子さんのポーズ写真。
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