7/01/2011

初めてのガストロと悲しい事件

先週の日曜は、ここPAUで38℃の暑さを記録した。
とにかく家中の窓を閉め切って、外の熱気が
内側に入ってこないようにひたすら過ごす。
フランスはクーラーなど家にないのが当たり前。
よくも悪くもエコロジー。
古い石造りのアパートの中は、ヒンヤリとしていて
クーラー以上の効果があるので、
熱を遮断することにつとめるのみ、なのだ。



そんな中、食欲もないけどお腹が空いた、
ということでなんか変色してる?
でも買ったばっかりだし、というネギを、
そうめんに入れて食べた。

そうめんを一気に食べ過ぎたからだろうか、
一晩中、お腹が重い。
眠る前にははっきりと腹痛。

早朝、勢いよくお腹が下り始め、
なんだかただごとではない気がしてくる。
その日は起きていることがつらく、
bébéが3時間昼寝をしてくれたのをいいことに
私もベッドで休ませてもらう。
といっても、ほぼベッドとトイレの往復。
仕舞いには、何故部屋にトイレがついていないのだろう、
と思うほどにひどくなる。

翌日も調子が良くないので、ジェネラリスト(すべて見れる人)
のお医者さんへ。
「たいしたことないですよ。食あたりかな」
と、下痢止めと腹痛止めをもらう。
気付かないうちに、目の白目半分が
内出血していて血で染まっている。
でも、イタクないので気付かなかった。

しかし、その翌々日も、夕方に腹痛がとまらないので、
4日間同じ症状はおかしい、ということで
運良くぐっすり寝ているbébéと家の留守を
彼の友人に預かってもらって救急へ。

痛いと訴えると、すぐにベッドに寝かせてくれ、
インターンのお医者さんだけど診断が30分後には開始。

症状を言うと、
それはガストロですね。と。
ジェネラリストとは違う見解。
普通の下痢だったらできったらすっきりするもの。
でも、4日も痛みと下痢が続くと言うことは、
細菌性なのでは、と疑っていた。
ガストロと言われた瞬間、何だかこの苦痛の原因が
はっきりとしてほっとしたのも事実だった。

幸い、ガストロによく見られる嘔吐がなかったため、
家族に感染せずにすむ。
授乳も通常通り、あげていたけれど、
自分の体内の水分がトイレと授乳で
全て搾り取られるようなつらさがあって、
手足がしびれていた。

それから2時間、イドラテ(水分補給)する為に点滴。
なんだかそれだけでも具合が良くなる。
なにはともあれ、月曜からごはん2杯とか、
スープとかそんな程度しか食べれなかったものだから。
水を食した感じがしたのだ。

家に帰るともう2時。彼の友人は明日の仕事にも関わらず
親切にも待っていてくれた。

同時に30日の昨日は、この小さな街PAUで、
悲痛な叫びが響く日となった。
6月4日から行方不明になっていた14歳の男の子が、
(私の中で)神聖なポー川で、その片足が発見されたのだ。
フランスでは日本程毎日のように聞くことがない
殺人事件。
それが小さな街で、しかもなんとも身近で、
おそらく住人全員の顔は一回は見てるんじゃないかというような
場所で起きたこと。自分のことのようにショックだ。
そして最後に自転車が発見された通りも
ひと気がなくてなんだか危ないな、と前から思っていた
ところだった。

男の子の家は離婚家庭で、離婚をすると、フランスでは
交互に父の家、母の家と預かられる。
その4日は、お父さんの家にいた日で、サラゴスという
ひとり歩きは危険な地区でのお祭りに、親の同行なしで
行っていたのだそう。その帰り、23時近くにお父さんの
家付近を自転車で通ったのを最後に、姿が消えてしまったそうだ。

だれもが、14歳の男の子を夜遅くに、しかも危ない地域に
行かせたお父さんが悪い、と言っている。
私も腹が煮えくり返るほどにそう思う。


こういう事件によって、本当に身の危険をいやというほどに
思い知らされる。離婚して子供を育てることになったとしても、
母父の間での子育てルール決めは絶対だ、と思う。
ましてや離婚率の高く、行ったり来たり制度が
法律で決まっているフランス人なら尚更である。
勝手なことは、して欲しくない、と、母父共に思うのだろうが、
最低限子供を守る為のルールは、つくって守り合うべきだなと
思うのだった。

まだ先があって、若くて美しかったアレクサンドル君。
 待っていた将来のこと。
これから色々な体験をして
すばらしい感動を覚えていくはずだったのだ。
そのゆく途中でこのような残酷な目に合わなければ
ならなかったこと。
皆が涙をこぼして悔やんでいる。
大切な身柄が、きちんと残らず発見されますように。

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