7/11/2009

痛み越えの笑い-drôle!-

私は今、
「きらめく日々」(?)を送っているのかも知れない。



日本からの友人が帰った部屋で、ふと考えた。
全てが順調というわけではないけれど、
愛の領域が心を大きく占めると、人は変わるのかも知れない。
愛とは恋愛の愛のことだけではない。
改宗したわけではないが、隣人愛も含む。


部屋のベランダに出ると、最近お向かいさんと目が合う。



黒い猫ちゃんである。
向かいのアパルトモンの最上階の住人と同居しているようだ。

彼女は窓からひょいっと飛び出し、屋根をつたって10m程散歩をし、
鳥などを目で追うのが好きなのだ。
時折首をかしげて上を向いたり、下を覗き込んだりする、
シルエットがあどけなくて可愛い。

今までは一方的に私が見つめるばかりだったのだが、
最近私の存在に気付いてくれているようだ。
私がベランダに出ると必ずこちらを緑色の目を光らせて見つめ返す。

彼女の存在のおかげで、部屋に帰ると
いろいろな気分が晴れてゆく。
例えば今日は、LA POSTから空っからで空っぽの郵便物が届いた。
ポーからパリに引っ越す際、2週間前に自分宛てに送ったものだ。
総計13kgの私の大切な本や貴重品が、全て消え失せた。
ボロボロになって畳まれた段ボールが
無様にビニールにくるまれている。
それを、はい、っと得意気に配達員に渡された。
何故それを届けにくる?
死後告知みたいである。
唖然。呆然。パニック。
短時間にめくるめく気分に会い、とりあえず今できることをしようと決める。
パリの警察に行き、紛失証明書を作る始末である。
ここまで一人でできるようになった自分にもフト関心してみたりする。
偉いぞ。
しかし、何とも最悪な出来事が起きたのだ。
La Postはもはや、私の天敵以外の何ものでもない。
(このお話はまた後日。)

部屋の角に置かれた無様な段ボールを見るたびに、
実際もう、その馬鹿さ加減に大笑いしてしまうのだけど。


こんな最悪な日ですら、
お向かいの彼女をベランダから見ると
途端に違う時間が流れ出し、嫌な気分が失せてゆく。
ピュアな生き物には、人の邪気を払う力が備わっているに違いない。



ひと気のない部屋で続いて考える。
去年は人生で3本の指に入るどん底を経験した。
人生の冬とも言えるだろうか。
前厄に一気にいろんなことがきた?
その時と比べると、今は心が軽くてむしろ浮かんでる気すらしてくる。
雲よりは低く。鳥と同じくらいの高さで。
お向かいさんのところまで道路を越えて飛んで行ける感じだ。

LA POSTのようなこととあまり変わらない出来事
が次々と起きた去年。
一年も経っていないのに、
暗く気持ちを塞ぐ思い出が、
既に過ぎ去って埃がかぶってすら見える。
今いる場所が、雑踏のない静かな通り沿いだから?
モンマルトルという私にとって神聖な場所の麓だから?
不思議。



その時は辛くて悲しくて
死ぬかと思ったくらい苦しんだのに。

ちなみに、辛い日々を思い出してしまう歌というものがある。
その時聞いていた歌。
歌は様々な思いを詰める不思議な容器である。
14歳の時の失恋ソング集(今スペインに住む友人が昔作ってくれたもの)
に入っていた歌をまだ覚えている。

去年のつらーい日々を思い出したくないがゆえ、
ずっと聞けずにいた曲があった。
しかし、日本を離れてからというもの、
あまりにも歌の本数が底をついてきたので
思い切って聞いてみることにする。

すると、なんということなしにすらすらと聞ける。
まじまじと辛かった気持ちが蘇るのも事実。
でもその痛みすら懐かしく感じる。
いや、むしろ笑みすら浮かんでくる。
痛々しい思い出なのに、真っ向から向き合える。
時間とは、新たな愛の経験とは、素晴らしい!



何であんなに深刻になってたんだろう、とか、
いまとなっては何であんなに思い込んでいたのだろう、とか。
一生懸命傷みと向かい合っていた自分が、
人生の一点しか見ていなかったことに気付く。
サイフを落とした人が、元来た道を戻り、
ひたすらサイフの痕跡を求めて探しうつむく姿に似ている。

と、こんなに余裕を持って去年を思い返せるのは、
きっと今すごくいい状態だからなのかも知れない。
LA POSTの荷物のことは、
あまりの悲劇なのでもちろん考えないようにしている。
出来ることだけやったら、後は忘れる。
覚えていたら、怒りで煮えたぎってしまって
今この瞬間がもったいないからだ。

人はいい状態の時に、いろんな気持ちや思い出を精算するといい。
特に辛くて向き合えずにきたもの。
そっと蓋をして目を背けてしまったもの。
きっとこの先も、
またいろいろな出来事が待ち受けているのだから。
同じようなことが起きたら、
今度はどうってことなくなっちゃえばいい。
生きてる限り、パワーアップしてゆくしかない。



すると、どんなことも、
深刻になっても仕方ないことが分かってくる。
ちなみに、LA POSTの今日の出来事は、
不快に思う反面、大笑いしてしまう。
いや、爆笑せずして人に話しなどできない。

どうやらぐいぐいとパワーアップしつつあるようである。


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