7/03/2009

ガラス瓶の色-sur etre agé-

歳をとった時、人は何をするか。
あぁ、また歳とっちゃった。
自分の歳を出来るなら隠したい。
そろそろ結婚したい。
例えばそんな感じだろうか。



もしくは、「はて、私は何をしてきただろう。」
そんなことを、誕生日に一年を振り返りながら
考えてみたりするものか。
そのために誕生日って存在するものなのかも知れない。

高校時代、急にどこかに去ってしまった友人が
遠くから私に綴ったことがある。
「海沿いの断崖絶壁にぽつりと座って、この一年を振り返ってみた。」
そして、彼女は強く生きようと思ったそうだ。

おぉ。。素晴らしい。 私も振り返らねば。
16歳だった。
そう思ったのを覚えている。

きちんと歳をとるということは、
ちょっとは振り返るということなのか。


相変わらず肌の毛穴をくり貫かんばかりに刺す
日射しのもと。
パリのカフェで、友人がふとしゃべる。

「この前、大台に乗ったの。
今迄は、決して過去を振り返らないようにしようと思って来たの。
とにかく前だけ向いて生きようって。
でも、大台にのったのをきっかけに、
そぉっと、おそるおそる、
肩越しに後ろを見てみたのね。
そしたらさ、なんっにもなかったのよ。」




「人生ってね、一本のガラスの筒にお気に入りの

色や柄の物を詰めて行くものだと思うの。

産まれた時、神様が試験管の瓶をその人用に
渡してくれる感じ。
それは人によって 短いかも知れないし、長いかもしれない。
途中で壊れてしまうこともあるかも知れない。」



「そのガラスの瓶ににはひたすらきれいな色を詰めて行くの。

それがお気に入りのデザインになるように、とかね。
でも中にはね、汚い下着を詰めて、これが私の人生、って
胸を張って言う人もいて。 その人はそれをいいと思ってて。
端から見たら変かも知れないけどね。
ある人の瓶はすっごくきれいで、こっちから見ると光って見えて。
それはいわゆる”隣の芝生は青い”やつかも知れない。」



そうやって、人生は自分の愛するもの、
人、思いのかけら、
形、色で染めてゆくもの。

最終的にどんなピースが積み重なってゆくか。
それを途中で微調整できたりもするもの。

そんなことを語ってくれた。

あら。
危険だった、私。
ともすると、流れ心地の良いままに流れ、
流されるのを不可抗力と勘違いして
そのまま流されていきそうな人生。

振り返ることは野暮かも知れなくて、
時にしんどかったりもする。

でも、例えば自分を本当に愛してくれる友達や恋人を
つまらない時の状況で大切にできなかったり。

ちょっとした臆病で
、大切な人を
本当に信じることができずに終わってしまったり。
そのまま意地を張ってしまって素直になれなかったり。

人生でありがちなシチュエーション。
すごく歳をとってしまった後で後悔するのも、
もの悲しい。





「c'est la vie.」
とは何か不都合なことが人生で起こった時に
フランス人の誰もが口にする言葉。

これだけは私はあまり好きになれない。

なんであきらめるの?途中で何とかできたかも知れないのに。
そう思ってしまう。


もちろん、 能天気な生き方は嫌いじゃない。
なっちゃったものは仕方ないね、残念。
そう。潔くて
悪くない。
でも、大切なものや思いは決して
手放してはいけないと
改めて思った一日であった。



ちなみに彼女について。

私にとって彼女は
十分築いているものがあるし、
とても素敵な人生を送って来たと思う。
そう、隣のガラス瓶の中身は眩いのだ。
きっと人によって、「完璧」のビジョンは異なるのだろう。
あとは、自分の「満足」とは何かを知り、
それを詰めてゆくのみなのだろう。
(言うのは簡単なのですけどね。)


Merci pour ton grand avis!

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