3/19/2011

大震災後7日 一歩前へ- 日本人集まる-

あの悪夢の大震災の朝 から1週間。
Pauに住む日本人のひとたちと
ようやくニュースの前を離れて会うことに。
遠く離れた私たちに、日本のために何ができるかの話し合いをする。


 

数えきれないほどの種類のお茶が並ぶ「amature de thé」
の場所を借りて、日本料理の上手な日本人の方が
みんなに昼食を作ってくれる。


 久しぶりのホットする和食。
一瞬でもみんなに笑顔が戻っているよう。
忘れていた食欲がでてくる。
根菜の煮物、そうめん、魚の巻き寿司。
美しい色とりどりの和の食文化。
愛らしい我が国の食。

 端的に言えば、フランスでなく、
日本赤十字社への直接の募金活動をすることに。
まずはポスターづくりの話し合いや口座をどうするか、
そしてポスターを貼る場所など。
中にはもう教会の神父さんに話して、
ミサの時に募金箱を置くことになっている人も。

ティーサロンのフランス人chefが、
地元紙・テレビ4媒体を既に呼び、
Pau市長さんまでも呼び、一気に取材も始まる。


ところでこちらのテレビ局の男性記者は、
足を組んで座り、取材されていた友人は
まるで怒られているかの用に立って話していた。。
文化の違い?それともこの人だけ?
新聞記者の女性は、みんなまともでした。
 



私は、記者に対し、
「フランスでの放射能に関するやや誇張されたニュースは、
もう見ていられない。日本のニュースしか見ていない。
放射能の問題もあるが、今自分の両親はじめ東京の人たちは、
できるだけ普通の生活を送るようにしており、
被災地の人のためにできることを考えている風潮だ。」
フランス人は放射能、爆発、と大げさだ
といってみたいところだったけれど、やめておく。
女性記者が言うには、
「フランス人がこんなに放射能に関して騒いでいるのは、
1986年のチェルノブイリの際、
政府が放射能は国境のところでとまってこない、
と天気予報を操作して情報を隠したことにあった。」
のだそう。なるほど、そういうこととは知らなかった。
しかし、日本の離れた状況で危険度を6まで
早々に繰り上げたり、
在日フランス人を早々に退去させたりと、
今までの「日本大好き!」とは
180度うってかわった行動をとったフランス人。
なんだか印象悪すぎ!と思っている日本人も多いよう。

ただ、日本の今回の原発問題は、
チェルノブイリとはわけも違うというではないか。
フランスは80%が原発に頼っており、
はるかに日本よりもその数が多いそう。
研究もかなり進んでいると豪語したい気持ちも
分かるけれど、チェルノブイリと比べながら、
勝手に騒ぎ立てるのはやめて欲しい。
テレビをみるフランス国民が、
今までは夢のような国、と言っていた日本への飛行を
急転直下避けることになるし、
折角親日のフランス人が増えて来たのに残念である。

フランス人と電話をすると、不安で仕方なくなり、
日本の姉と電話をすると、安心する。日々はそれの繰り返し。
なんだ、この違い。
彼のママンからの電話も、当分は居留守。
今日も、「放射能を含んだ雲が明日東京のほうにくるから・・・」
と言いたく電話をしてきたようだが、
私は当然電話に出ず。
その情報は、第一どこのもので
誰が正確といったものなのか。
断じて聞きません、フランス人の教えてくれる
ありがた迷惑な情報は。
という日々がいつまで続くだろうか。。

ただ、勝手に騒いでいるフランス人もいる一方、
真摯に250ユーロの小切手を寄付してくれる
フランス人もいる。
ありがたいです。

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