5/21/2009

助け合い日が暮れる-sur WIFI-

ボールペンが見渡す限り1本しかなかったとする。

すると必然的に見も知らなかった持ち主に話しかけ、

借りることになる。




ここに来るまで、インターネットのパスワードを

あげ渡し、譲り合う文化など知らなかった。

「wifi」は、フランスにある無線LANである。

一人が契約していれば、アパルトモンの上下を接する階の人と

IDやパスワードを共有して使える。

だから、個々人がそれぞれ高いお金を払って契約する

必要がない。


しかし日本人の私にとって、知らない人に声をかけ

パスをくれないかとお願いをするのは抵抗があった。

お金を払って契約するほうが気楽だと思っていた。

いつつかまるかも分からない。

が、助け合って日が暮れる、ゆるりと時が流れる

ここPAUの生活には、そんな遠慮など不要である。

ずうずうしいくらいでないと、

逆に不機嫌な日本人に映って損である。


海外で外国人の「友人」(困った時に助け合える信頼できる相手)

を作ることははっきり言って容易くない。

見た目もテンションも違うから当然。

しかし、海外生活での数多くあるハプニングを

乗り越えるうちにそれらは自然とついてくる。

ありがたい。

インターネットのパスワードをめぐり、

必死の形相になることがそのうちの一つだ。




PAUに来た当初、学生寮に1週間程いた。

今いる友達はみな、

インターネットをめぐって話をしたのがきっかけである。

必要に迫られないと、話さなかっただろう。

出会わなかっただろう。

ひとりに会うと、そのまた友達とも会うことになり、

次々と輪ができてゆく。

なんせ狭い町なのだ。


新しいアパートに引っ越してきた当初、

家主があると言っていたはずのwifiが本当はないことが発覚する

(フランス人にありがちである)。

遠慮が得意な私でも、そこだけは最後まで引き下がらず、

「困る。困る。」と譲らない。

では、と、家主がアパルトモンの玄関で若者を待ち伏せ、

wifiのパスをもらおうと言い出した。




突然家主のムッシューは若者めがけて走り出す。

ムッシューのガッツと必死っぷりに目が丸くなる。

ムッシュー、64歳。そんなに走れるものなのか。

そしてCという職業不詳のフランス人を見事にキャッチする。


Cはサッカーが好きなようで、ジャージが私服のタイプである。

私はその光景を、半分蚊帳の外から眺める。


「僕はここの住人ではない。友人のNが

日本に行っているので2週間程家を借りている」とCはいう。

すると、ムッシューが脇で大声をあげる。


先日、ムッシューのベンツ2台にガシャンと車をぶつけ、

保険がおりるのを待っているのが、そのNだという。

「なんたる偶然!」とムッシューは嬉しそうに笑う。

ならば(?)、とCに日本にいるNにまで電話をかけさせ(??)、

wifiのパスワードを聞き出す。Cにとってはいい迷惑である!

しかし、Nは14階。私は6階。wifiの距離は遠過ぎる。

同じwifiは結果的に使えなかった。





インターネットが使えない以上、見も知らぬNとは

連絡をとる必要がないと思っていた。

何故か国際電話をかけさせられた、

損な役回りのCへの感謝だけで十分である。

Cよ、ありがとう。

サッカーがんばって。


しかし後日、日本から帰国したNから電話がくる。

「日本はとても素晴らしいところだったから、働きに行きたい。」

とのことである。

ベンツ2台に車をぶつけ

(車内でコーラが落ちるのを拾おうとしたらぶつけたそうだ)、

何故かバカンスで二週間も日本に行っていた

正体不明のN。

「PAU⇔日本」? 何故よりによってそこを選ぶ?

と疑問を持つ者同士が、

こうして知り合うことになる。

奇遇である。




人とのつながりが人を介して広がり、絆が生まれる。

仕事で必要だからという「人脈」ではない。

純粋に必要な人間同士のつながり。

PAUの住人は、人を助けて日が暮れてゆくのを受け入れる

ことができる。

「自分。自分。」でない町である。

そんな雰囲気がまったりと漂うこの村生活。pas mal!

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