5/22/2009

落ち着かないひと-mais,c'est mieux-


日本のあるサイトで

「婚活」に夢中になりすぎ

詐欺に合ってしまうという滑稽なニュースを見かける。



海外から眺めるととってもユニークなキャラクターに映る。

そしてこれぞ日本特有の「時代モノ」。

小さい時からお揃いの靴を欲しがる傾向にあるのが女というもの。

ある一定の場所で。




でも、その人物は本当に結婚したいのかはナゾである。

自分の現状が見えぬほど躍起になってしまう。

それではブランドを欲っする衝動となんら変わらない気がする。

日本の未婚女性にとって、(男性はややうっすらと)

結婚はステイタスであり、ブランドと化している。

ある一定のところで。


私も結婚に躍起になっていた時期がある。

早く素敵な人に会いたいとばかり。夢みがちであった。

がんばれば何でも手に入る母国にいると、

次々と欲するものがありすぎる。

当時の私にとって、

結婚は欲求不満を解消する手だてにすぎなかったのではと思う。

今となってはインターネットすら部屋になく、

スーパーですら日曜祝日になると物を売ってくれないところにじっとしている。

情報、いやはや消費、そして恋愛の気力にも乏しい人である。

それとも結婚とは、先進社会の所有物なのか?

発展途上社会にはまだ早いのだろうか。(あり得る)




しかし私は、

実は結婚する資格もないほど、

落ち着かない人なのではないかとすら思うようになれた。

その変化が嬉しいほど。

結婚の呪縛からある意味抜け出せた。


先日いいニュースを届けてくれた絢香氏。

その素敵な歌の中に、

「おかえり」という歌がある。

彼女は素敵な男性と幸せな結婚をした

(ドラマ「絶対彼氏」でのコラボ)。

とても嬉しい出来事である。

(おめでとうございます。)


ある日少し困惑したことがあったので、

何気なく「おかえり」を聞いてみる。

私にとって、今帰れる場所とは何だろう。

考えてみることにする。

PAUでできた優しく心配してくれる友たちもそうである。

しかし、英語⇔フランス語の言葉の変換が

不可能なくらい疲れてしまったとき。

何かを気にしながら話す心の余裕がない程

へとへとになったならば。

昔から知っている言葉不要な友達や、

更にその人が信頼する友達の中で笑っていたいと、

今すぐそこに帰り安心したいと思う。




悲しいほど何もないところに身を置いたときに。

心が求めるものが本当のとるべき選択肢である。



「結婚」に自分の帰る場所を求めるというが。

「絶対彼氏」の脚本家にインタビューをした時。

「おかえり」と言い合える人を大切にするだけだ

と言っていたことを思い出す。

結婚はその後についてくるものだと思うと、

今の自分はしたいかどうか分からない、と。

彼女はその半年後に入籍の報告をしてくれる。

先見の明!とその瞬間思った。

彼女はその半年前は結婚したいという欲を

あまり持っていなかったのだから。

結婚は無意識の連鎖の延長線上にあるものなのかも知れない。



旅を続けている私は、ただの落ち着かない人である。

あの日あの時。

結婚をしたかったかよくよく考えてみる。

私のように、いつまでもフラフラと

「落ち着かない人」にとって。。。


NON! 結婚する資格すらなかった。

だからたまにフラっと帰ってきて

「おかえり」と言ってくれる人がいるだけで今は十分である。

とてもありがたい。

それはみなが欲するような「結婚」とか「恋愛」

とかではないかもしれないけれど、

家族と似た安心感と信頼感がにじむ。

逆に、何故結婚できない、早く安心させてくれ、

と言いたげな本当の家族とは離れ。

そちらに居たほうが本当の幸せすら感じる。


人は本当の自分の気持ちに素直に気付け従えたとき。

初めてしあわせを手に入れられる気がする。

(何度も言うがそれは結婚ではないかもしれない)

私のようなフラフラ人間には、

それに気付くことすら今まで難しいことであった。


「結婚したいのなら結婚はいくらでもできる」

「相手を選びすぎているだけ」「結婚できないのではなくて

本当は結婚したくないはずだ」。

ふぅ。疲れる。

いやはや、多様な意見が飛び交う日本人の結婚談義よ!

結婚の仕方に方程式などjamais!存在しない。



そのテーブルで料理されるがままに翻弄され。

詐欺にあってまで結婚を求める悲しみ憂う姿よ。

男性の選び方マニュアルの虚しいことよ。


自分にもっと自尊心と誇りを取り戻そう。

・・・・!


ーただの落ち着かない人より、真摯に。

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