4/14/2011

悲しみとイマジネーション

祖母は何もない人だった。
70を過ぎたあたりから、買物も行かなくなったし、
友達にもほとんど会わなくなったし、
家族の人以外とは外にも行かなくなった。
祖母は難しい受験も、就職も経験しなかったし、
時事ネタなんか話したこともない。
いつもまあるい背中をこちらに向けて
テレビに向ってコタツに座っていた。
でも、何でだろう。
私は祖母が大好きで、そのポジションは別格なのだ。
のんびりしてて、ニコニコ笑っていて、かわいくて、
いつだって家族の中で泣いている人の味方をする。
それが祖母だった。

私は今日悲しみが満タンだ。
だから祖母がなぐさめてくれる声を、
無償に聞きたい。

石巻の医師が伝えたことを掲載するあるジャーナリストの記事。
「僕の見ているところでは、ウンチを紙で丸めて捨てている人がいる、
なのに近くの温泉旅館では普通に宴会をしていてるんです。」
荒涼とした空間に、悲惨な状態が続いているんですよ。
映画でしか見たことのないよう な世界が広がっていて、
漠たる不安が収まらないんです。避難ということが津波の
被災地でもきちんといまだに行われていないのです。
さらに原発もおさまらない。これが現状なんです。」 
(引用元:http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/7a779926660d82f4e42450e4a5c6c584)

これは本当なのか。
自分たちの過失ではなく被災した人たちを
一カ月経っても助けられない。
私は募金活動するしかできないことが悔しいし、
自分のことを棚にあげられないけれど、
ここは日本の政府がしきるしかないはず。
精神的に過酷なダメージを受けた人たちが、
さらにホームレスのような生活を強いられている。
今まできちんとスーツを着てた人が、
ボロボロの服で異臭を放ったりしているのだろう。
見栄っ張りがかっこよかった切符のいいお父さんが、
配給の列に並び続けなければならなかったりするのだろう。
母乳を出す度にお腹がすくお母さんは、
空腹をしのいで授乳をし、出が悪くて赤ちゃんは
泣き止まなかったりするのだろう。
もしそれが自分の家族だったら。
自分の友人、尊敬する恩師だったら。
衣、食、住。
人間らしい生活ができなくなり、
それに慣れていかざるを得ない状況。

イマジネーションが欠如していると、
思いやりを持てない。
辛さが身にしみるように伝わらない。
だから、助けられないのだろう。
みんなが誰かにとって大切な人、
ということを分かってないのだろう。


と、やり場のない悲しみが満タンに達する。

こういうどうしようもない時は、
3年前に他界した祖母が無償に恋しくなる。
祖母は何もない人、という表現もあてはまるけど、
私が一番尊敬する人。
息をひきとるまで、誰にも迷惑をかけずに
ニコニコしてた。
だから面倒を見てくれた病院のみんなが
かわいい祖母を好きだった。

関東大震災、世界大戦をくぐりぬけて、
祖父にも早くに先立たれ。
何もないように見えて、実は一番我慢強くて、
だからこそあんなにシンプルな人で
いられたのかもしれない。

政治家や識者は難しいことを考え発表できる。
だけど、シンプルなことをスッと成し遂げる
本能に欠けている。
どんなに頭がよくても、シンプルでいられないと、
人には受け入れてもらえない。
だって、肝心なことができないのだから。

避難所生活をしている人たちの中には、
家族を津波で亡くしてしまった人も多いはず。
家族の分まで必死で生きようと、
前向きになりたいと思っている人もいるはず。
そんな人たちの生活を、一カ月も助けられないなんて。
同じ人間として恥ずかしい。知らないなんて、絶対にないはず。
私はいつも想像してしまう。
もしあそこに祖母がいたら。
大切な存在だからこそ、想像してしまう。
あそこに祖母がいたら、
無我夢中になって、助けにいくだろう。
物理的に無理ならば、
助けを向かせるための行動をあれこれしただろう。

みんな誰かにとって、大切な人。
そんなシンプルなことにいつも気付いてほしい。
普通の生活を続けるのも賛成だけれど、
何もできないこんな無力な自分がいることも認めたい。
私はこの記事の人たちのことを、
心の中で案じることしかできない。
でも、生涯忘れられないイメージとなって、
私の中で残っていくのだろう。





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